日常の気づき

人生の主役はわたし ~縁した人たちのことを想う~

私から離れていった人とか自然に会うことが消滅した人のことを、ふと思いめぐらすことがある

もし今もあの人たちとつながっていたら、私はまた違ったのかな?とか・・・

特に相手から離れた場合、特にそう思うことがある

「そんなん考えるだけ無駄や!」って思える人はたくさんいると思うし、私も基本そうなんだけど

たまにすごく未練がましい想像をしてしまう、また年齢的に思いめぐらすときなのかもしれない

なぜこんなことを思うのか?それはきっと今自分が頭の中に考える余裕の引き出しがあるからなんだろう

「お?ここの引き出し空いてるで!邪魔するで~」って感じで

「邪魔するんやったら帰って~」と関西のノリならこんな感じなんだけど(笑)

もし「今」というときに集中できていたら、そんなことは考えようとは思わない

ふと立ち止まった時、少しうまくいかない時とかにその想像の波はやってくる

そしてもやもやとした時間を過ごす・・・

でも最近そういう時間って今の自分にはいらないなぁと感じることが多くなってきた

そんな時、去っていった人のこと、死んだと思っておくことを思いついた

「死んだ」なんて縁起でもないことを思うなんて・・・と私の心をざわつかせたけれど

その方が気が楽なのだ。

死んだというのは、私の心の奥の底の部分・・・根底、土の部分ということ

土の中に埋まったということだ

私の人生は、今まで出会った人の縁で出来ている

良い事も悪いこともすべてである

その土の中から私という木が育っているのだ

色んな人との摩擦から栄養をもらいすべてが合わさって今の自分がいることは、これからも心にとめておきたいと思う

だからといっていつもいつまでも・・思うのではなく

普段はふたを閉めておいたらいいのだ

もうよほどのことがない限り会うことはない人にまた会うことがあるとすれば、それはそれで「縁」なんだと思う

それをこれからの自分の糧にするのかしないのかは自分次第

生きてたら失礼極まりないことだけど、自分の心の中での話だからいいんじゃないかなと思えた

そう考えて自分が少しでも前を向いて生きていけるのならば・・・

過去のその人とのかかわり、楽しいこともしんどかったことも今思えばかけがえのない時間

すべてに感謝する事が出来たら、それでいいじゃないか

もし今後の人生で、また巡り合うことがあるならばそれはそれで素敵なことだと思う

去っていくのには、いろんな事情がある

いつまでも繋がれるというのは

奇跡なのかもしれない

また、逆もしかり

自分から離した縁も同じ

どちらかといえば離した縁の方が、割り切れることが多いけど

自分との生きていく中での同じ空気を吸うことがなくなった

という風に考えた方がマイルドかもしれないな


人生の主役は私

その時その時で私の周りの共演者は変わっていく

仕事でのつながり、遊びでのつながり、通りすがり

みんな私との物語を終えたから、去っていっただけなのだ

あの人とはもう少しお付き合いしたかったなと思う人もいるし

離れていった人のことを思い自分に魅力がなくなったのかなとか

いろいろ想像してしまうけど

いつまでもつながれることは素晴らしいことだけど

相手が私の人生の配役という役目を終えて離れていったんだ、人生の物語の主役は変わらない

主役は「わたし」なんだ

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